子どもたちとともに上高田の寺になった
萬昌院功運寺・住職 佐々昌樹さん(57歳) 【萬昌院功運寺】 |
中野には、48の寺院がある。そのうち17が、上高田に集中する。古くから、麦や大根、ごぼう、柿などを江戸へ出荷する農村地帯。明治40年代から大正はじめ、東京市の区画整備のため、江戸城周辺の寺の多くが立ち退くことに。東中野駅からほど近く地盤の固い上高田に、16の寺が移ってきた。その最後が萬昌院(現萬昌院功運寺)。住職・佐々昌樹さんに、寺町上高田について地域の人びとについて話を伺った。
黄金色のけやきの大木、風格漂う山門をくぐると、子どもたちのにぎやかな声が聞こえる。境内の右手には幼稚園、正面は本堂。萬昌院功運寺は、萬昌院と功運寺という2つの寺院が合併した寺である。
その歴史は古い。萬昌院は、戦国武将の今川義元の子・長得(曹洞宗僧侶)が、天正2年(1574年)に佛照圓鑑禅師をまねいて半蔵門近くに開山。いく度かの移転後、大正3年(1914年)に牛込から中野・上高田へ移転してきた。一方の功運寺は、徳川秀忠につかえた永井尚政が、慶長3年(1598年)に黙室芳 禅師をまねいて桜田門外に開いた寺である。数度の移転を経て、大正11年(1922年)に三田から上高田・萬昌院のある境内へ。以後20年余り、同じ敷地内に2つの寺があったが、昭和23年(1948年)に両寺の名を残して正式に合併し、現在に至る。
4人兄弟末っ子の、佐々昌樹さん。「やる気のある者に跡を継がせる」と父の教えに従い、16年前から住職を継いだ。「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」は、曹洞宗・道元禅師の教えのひとつ。修行とは特別なことを行うのではなく、日常生活の中での行いが大切だと説く。園長を務める「まこと幼稚園」では、4歳から6歳の子どもたちに挨拶の意味も教える。私の命のためにあなたの尊い命を「いただきます」。そして、あなた
の命の分までしっかりと生きていきますと感謝の気持ちで「ごちそうさま」と言って、手を合わせる。
明治のはじめ、寺子屋をもとに6つの小学校を東京に設立。江戸時代から寺子屋を開いていた萬昌院は、日本で最も古い小学校のひとつに。戦後まもなく幼稚園を設立し、同時に地元の子どもたち向けに「おはよう子ども会」や「日曜学校」などの会をはじめた。境内では、ラジオ体操やボール遊びをしたり、宿題をすることも。日曜の午前中、多い時は200人を越える子どもでにぎわった。塾や習い事に忙しい子どもが増えて、参加する子がほとんどいなくなり2年前に休園となった。それでも「いつかまた子どもたちとできること」を模索中だ。
昨年3.11は、園児たちが帰る直前だった。送迎バスは出さず、お母さんたちに一斉メール。自転車や徒歩で迎えに来てもらい、みな無事に帰宅。なかには、「不安なので、もう少し幼稚園にいてもいいですか?」と居残る母子。歩いて帰宅する人や山門で足を休める人のために、夜遅くまで境内の明かりを灯し続けた。関東大震災、戦災を経験し、上高田に移転して再来年は100年を迎える。「幼稚園や日曜学校を通じて地元にとけ込んできた」といい、毎年大みそかには、除夜の鐘をつく卒園生が次々訪れ、「ちょっとした同窓会になるんですよ」と誇らしげ。萬昌院功運寺は、子どもたちとともに育んできた寺である。
▲午前中は、子どもたちと園庭や砂場で遊んだりして幼稚園で過ごす。「園長先生、さようなら~!」子どもたちの挨拶が響く
▲「幼い頃から身につけてほしい」と、命の大切さを伝える。ポニーのオレオ(右)とゴールデンレトリバーのレオンは、園児の人気者!