2003年9月から映画間「ポレポレ東中野」オープン。 また、もともと青林堂書店の2階にあった「スペース&カフェ・ポレポレ坐」は、2005年5月から再開した。「食べ物や酒、音楽や絵画を囲んで、人が集う 場所のにぎわいが好きだ」という本橋さん。ポレポレならではのイベントや展示企画、カフェ定番のコーヒーやカレー、時には友人の食材がメニューに上ることも
JR東中野駅西口そばの「ポレポレ東中野」は、中野、東中野で唯一の映画館。写真家、映画監督でもある本橋成一さんのもうひとつの顔は、「ポレポレ東中野」「スペース&カフェ・ポレポレ坐」の経営者だ。この町で生まれ育ち、現在も暮らしている本橋さんに、東中野という町について、そして映画について、語ってもらった。
かつて、山手通りから少し奥まったところに、青林堂書店(せいりんどうしょてん)があった。いまはなき、本橋さんの実家。娯楽などほとんどなかった少年時代、「近所のお兄さんが、たまに新宿の映画館に連れて行ってくれてね」とうれしそうに話し始めた。本橋さんが小学5、6年生の昭和20年代半ば、東中野にふたつの映画館ができた。金竜座と銀竜座といい、それぞれ邦画と洋画を上映。実家の店先には、告知用の映画ポスターが貼ってあり、チケットをいただくことも。当時、周辺は一面の原っぱだった。「やぶ蚊が多くてね、映画館に蚊取り線香を持って観に行ったよ」と顔がほころんだ。
学校を卒業し、写真家として活躍。東中野で所帯を持ち、ふたりの娘にも恵まれた。しかし、仕事柄、長期にわたって家を空けることも多く、町との関わりが減っていたことすら気づかなかった。ある朝、次女の楽(らく)さんを保育園に送っていくと、「らくちゃん、おはよう!」とあちこちから声が掛かってきた。娘はこの町になじんでいた。楽さんがダウン症で生まれた時、「自分の町で育てたい!」と強烈に思った、あの時の覚悟がよみがえった。この町でしっかりと根を張って暮らしていこうと、この時本橋さんは心に決めた。90歳で認知症になった母を、顔見知りのご近所さんはあたたかく見守ってくれた。家族が安心して暮らせたことをいまでも深く感謝している。
「町ってね、寝泊りするだけの場所じゃない。生活の場、住処(すみか)だとぼくは思うんだ」。地下鉄が通り、高層マンションが立ち並び、東中野は大きく変わった。人は増えているのに、一緒に暮らしているという感じがしない。それでも本橋さんは、この町に住み続ける。一人ひとりがもっといい町にしようと協力すれば、もっとよくなるはずだと信じているから。「おはようございます! って挨拶があって、赤ん坊の泣き声や子どもたちの遊び声が聞こえる町っていいよね」。かつて地元の憩いの場だった駅前の小さな公園は今はない。夏祭りをしたり、神輿を担いだり、ハンディキャップのある人も子どもも年寄りも集まれる空間をまた作りたい。娘の楽さんは、いまカフェ・ポレポレ坐で生き生きと働いている。
▲ポレポレ東中野では、「どうしたら、東中野まで足を運んでくれるだろう」と考えて企画を練る。「当たり前でない」「ほかではやっていない」「ぼくら仲間が好きな映画」を上映することは、当初から変わらず。同じ志の若いスタッフに映画選びは任せているが、それでもたまに「おもしろい映画があるよ」とそっと耳打ちすることも
▲「若い頃から急行が止まらない東中野駅が好きだった。町には行き交う人が増えたが、ぼくにとって人の顔が見える町。これからもそうあってほしい」。ポレポレ東中野を前に