あなたに問いかける シンポジウム・ 基調講演を聞いてみよう!

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編集部注:今回のインタビュー記事は、これまでの様々な鈴木氏の発言も引用・アレンジしながら再構成しました。あらかじめお断りしておきます。

 

エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議・鈴木悌介代表理事は、
小田原・鈴廣の副社長で、還暦ながら(だから? )、とても熱く賢い方のようです。

同じ日本の経済界にも、実に様々な人がいるものだ。今回、おこのみっくす編集部は、中野区から神奈川県小田原市へと足を延ばし、「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」という長々しい名前の代表理事を務める、鈴木悌介氏にインタビューを試みることに。実はこの人物、小田原名物・かまぼこの製造・販売で老舗中の老舗、今年で創業150周年を迎えた鈴廣かまぼこグループの副社長である。さかのぼれば日本商工会議所青年部会長として全国を駆け回り、地方の時代と言われる昨今の流れを先取り、敏感に感じ取っていた人物。そして、あの2011年3月の大震災以降、「脱原発を目指す経済人」として、一躍脚光を浴びた人、といえば思い出される方も多いのでは? いつしか原発再稼働の波に飲み込まれたかとおもいきや、さにあらず。来年1月30日には、東中野にある東京テクニカルカレッジで「中野のまちのでんきとごはん」という名のシンポジウムを主催、自ら基調講演に臨み、またパネル・ディスカッションでは、コーディネイター役も務めるという。どうやら、大消費地・中野で、経営者・生産者・生活者三方の視点から、参加者とともに語らう気概横溢なりと、妄想をたくましくしながら、新築なったばかりの本社へ。そこは、従来の建物より、なんとエネルギー消費量を54%も削減した、省エネ・創エネの杉の香りに包まれたゼロエネのビル…。そうか、小田原という地域はそもそも再生エネで名を馳せた町なのだ!なんだか、対極にある町同士をつなげてくれた「中野・環境市民の会」にも、ありがとうと言っておこう。

 

【エネルギーについてほとんど知らない・知るすべもなかった中野の読者のために】

一般社団法人「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」の設立経緯は?o40_p2-5enekei02
鈴木代表の回想… 略して「エネ経」と呼んでいますが、経済ありきでエネルギーを考えるのではなくて、人の生活を支えるエネルギーはどうあるべきか?から経済を考える、それも私たちのような中小企業の経営者の団体であることを明確にしておきたいという思いもあって、長々しい名前をつけたわけです(笑)。当時は、今でも変わらない現状ですが、よく言われるところの2:6:2、頭の2割はいわゆる経済界で原発やらないと日本が駄目になるぞという人。後ろの2割は昔から原発だけは
駄目・間違いという人たちで、こちらはやれイデオロギーがどうだ、非現実主義の文化人とか、なんだかんだ言われてきた。真ん中の6割が大震災でビックリして原発怖いと思いつつ、それがなければごはんが食べられないなら致しかたないのかなあ、という世論ですね。
この両極ではまっとうな議論ができないと感じましてね。同じ経済界でも、原発がなければ日本が成り立たないと全員が打ち揃って思っているわけではない。原発事故の影響も顕在化して、切羽詰まった思いに駆られ、震災の1年後に任意団体として、さらに約1年を経て法人化しました。全国をまわって声掛けしながら、最初は120社ほどが参加してくれて、現在は370社まで賛同者を増やしています。とは言っても全国の中小企業150万社から見れば微々たるものです。これからが本番。息の長い活動が必要だと思っています。

エネ経のそもそものミッション、成し遂げたい目標は?
鈴木代表の実感… 今は、啓発活動に重点化している段階です。会社の経営なら中長期計画があって、目標を数値化することが求められますが、私たちが目指す「再生可能なエネルギーの自給の仕組み作り」を全国規模で各地域から同時に立ち上げようとしても、いつまでにどれだけと言えるほど、エネルギーの問題は割り切って答えを出すことはできそうにない。それでも私の地元の小田原の企業が共同出資して太陽光発電事業に取り組んだ「ほうとくエネルギー㈱」のような動きは、実は全国で50社800箇所近くまで作られてきています。
もう一つの課題が「賢いエネルギーの使い方を知って、どのように実践に結び付けるか?」この省エネの取り組みは、中小企業には高いハードルですが、エネ経では省エネのノウハウや技術サポートを提供する「エネルギーなんでも相談所」を新設して、企業OBを中心とした専門家のボランティアで対応できる体制を整えました。
一つひとつの動きは小さくとも、新しい取り組みの実例を着実に増やす、その実例をみて知ることによって、次のチャレンジが生まれる!顔の見える繋がりに期待しています。

今回の東京・中野でのシンポジウム開催の意図、目的とするところは?
o40_p2-5enekei03鈴木代表の原点… 究極的に言えば、東京には、ひとが暮らしていくために必要なもの、農作物・水・エネルギーが基本的にないですよね(笑)。全て地方から持って来て消費する中、もし何かが不足するとなれば「あなたは、どんな生き方をこれからしていきますか?」と、やはり問いかけたいと思います。私のところは、食い物で商売させて戴いているので、まさにタイトルにごはんとありますが、かまぼこの原料になる魚の命をお客様の命に移し替えるお手伝いを日々生業にしている気がします。人の細胞は食べ物によって作られ、やがて新陳代謝で死滅した細胞を補って、再び食べ物を求める。だから、食べ物=自身の身体ということになりませんか?その食べ物を育む自然と人間が、非常に密接な繋がりをもっているのは自明の理で、人間だけ良ければ、自分だけよければという考えは成り立たない。もし傷つけたり汚してしまったなら、今以上に回復させて、将来の子どもや孫たちに受け渡さなくてはならない。全部つながっているのですね。つながっているから、見ないふりは通用しないと思います。原発も同じですよ。今、コストが安いといったなりふりかまわない理由で自分たちだけ良くなろうとしても、何もかもがつながっているのですから、全体で一緒によくなることを考えないと、持続できないのでは?自分ごととして考えてみることが大切だと思います。

耳の痛い、それでいて興味深い話ですが、東京人はエネルギーで何もできませんか?
鈴木代表のヒント… 一つ、住宅に目を向けてみませんか? 住宅環境と居住者とエネルギーをデザインできる人間が、実は誰もいないんですよ。老夫婦だけの家、大家族のご家庭、高台の日差しあふれる場所、下町風情が似合う路地の奥等々、どんなエネルギーを創りバランスするか? ビジネスチャンスにも成り得ると思う。 もう一つ、各地域でさまざまな自然エネルギーの電力事業を始めているところがありますが、例えば中野で発電しようとしても、これはむずかしいでしょう。でも地域でのエネルギーへの取り組みが増える中、自分の故郷で頑張っている会社、学生時代に世話になった町とか、それぞれ思いやつながりのある地域に例えばファンドという形で参加していく。つながりを持つ、あるいは回復する。そういう発想でいけば、東京在住者側にしてみれば、自由に気持ちのつながる場所・地域を選べは良いし、逆に地方は魅力的な所以をアピールする視点を育て、つながるきっかけを自分たちが作っていく。どの程度の日照度でどれだけの電気を生みだして…数値化・見える化して学びあい、競い合うこともできる。出資者に、そのエネルギーによって産みだされた地方の名産を送るサービスも面白い。大東京は、地方出身の方がたくさん集まるところなのだから、やる価値が大いにありそうに思えます。

[以上、11月17日インタビュー実施]

 

 小田原の風景① 自分たちの発電所 
行政と市民と企業。オール小田原で実現したメガソーラー

o40_p2-5enekei04小田原には市民ファンドによって作られた発電所がある。運営は、地元の思想家・二宮尊徳の「報徳思想」から社名をとった「ほうとくエネルギー㈱」。3.11の震災後、市の主導で再生エネルギーを考える市民の協議会が発足し、「小田原電力を作ろう」と事業化に向けて検討を重ねた。NGO、地元金融機関、商工会議所なども加わり活動の輪は町全体に広がった。2012年12月に24社の地元企業が出資して設立されたのが同社だ(その後増資し、現在株主は38社)。そして2014年10月、市内久野の山林に、メガソーラー※市民発電所を設立した。建設資金は市民ファンドを立ち上げて集めた。市民の関心は高く、出資者179名、目標額1億円を達成。発電容量984kw、1日の発電2620kwhの太陽光発電…「自分たちの発電所」が誕生したのだ。
o40_p2-5enekei05メガソーラーの建設地を提供したのは、久野の山林の所有者・辻村百樹さん(59)。地域の力でエネルギーを作る思いに賛同し、県の建設残土の受け入れ場としていた1.8haの土地を貸与する20年契約をほうとくエネルギーと交わした。辻村さんは、中野生まれで中野在住。先祖から引き継いだ小田原の山林を管理する辻村家“8代目当主”だ。この山に実は、かつて小水力発電所があった。辻村さんの祖父が作ったもので、大正から昭和にかけて稼働していた。その跡地を眺めながら、辻村さんは言う――「林業全盛の昔と異なり、山の維持管理は大変です。だからこそ、目先の利益で動くのではなく、50年100年のスパンで物事を見なければ」。メガソーラー誕生にまつわる、小田原の地の様々な人の様々な思いが垣間見られた。
※メガソーラー…出力1メガワット(1000キロワット)以上の大規模な太陽光発電

 小田原の風景②蘇るみかん畑 
耕作放棄地を活用した「おひるねみかんばたけ」プロジェクト

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小田原市内の曽我山は、高齢化と担い手不足から耕作放棄地が増え問題となっていた。この耕作放棄、つまり“おひるね”していた畑を借り受け、みかんを育てる「おひるねみかんばたけ」プロジェクトを昨年スタートさせたのが、エネ経会議の事務局長・小山田大和さん(36)と、農業を営む川久保和美さん(61)のお2人。賛同者を募り、みかん畑を再生させて、昨冬は約480坪の畑で4トンのみかんが実をつけた。収穫祭には市内外から約50人が参加して、収穫したみかんを一つ一つ手作業で丁寧に皮をむいて果汁100%のジュースに加工。「おひるねみかんジュース」の名で通信販売し、美味しいと大評判になった。販売で利益は出たものの雇用を確保するところまでは至っていない。まだまだ先は長いが「この曽我山が、耕作放棄地の再生のひとつの成功例となれば」と2人は語る。「みかん畑から眺める景色は最高。ゆくゆくは周辺に宿泊施設やバーベキュー場を作って、活気あふれる場所としたい」…小山田さん川久保さんの夢は始まったばかり。

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投稿日時 2015-11-27

カテゴリー Vol40, おこのみっくすマガジン

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