巻頭・特別企画●祝・JR中野駅開業125 周年記念特集

いま、中野駅が熱い!!
中野駅長って、おもしろいぞ!!

編集部密着レポート・飯塚駅長ご案内の巻・・・・・

いまをさかのぼること125年前。明治22年(1889年)、甲武鉄道(現中央線)新宿・立川間が開通し、中野駅が産声をあげた。この年、大日本帝国憲法が公布され、東京市が誕生した。まだのどかな田畑広がる中野村に鉄道が敷設されて、村人たちはきっと驚いたに違いない。調べてみると、この時甲武鉄道で開業していたのは、新宿、中野、武蔵境、国分寺、立川の5 駅のみ。ということは、我らが中野駅は、あの東京駅よりも歴史があり、住みたい町NO.1 の吉祥寺よりも由緒正しい駅なのだ。「もっと胸を張って、みんなに自慢してもいいのでは !?」と突然中野駅への愛おしさがむくむくと込み上げてきた編集部。さっそく取材をお願いしたところ、飯塚晃駅長の快諾 !! そして、駅長自らが構内を案内してくれることに。取材日は、32.3℃の猛暑。とにかくじっとしていない飯塚駅長の後を追いかけながら、駅の表から裏、地下から屋上と隅から隅まで密着取材(駅はじまって以来の大珍事 !?)。汗をかきかき息も絶え絶えのカメラマン A、鼻息荒く興奮気味のライター S のデコボココンビがレポートします。中野駅って、おもしろいなぁ~!! 意外とあなどれないわ(まったく侮っていませんでしたが…)。中野のみなさん、きょうから中野駅&飯塚駅長ファンになること間違いなしですぞ~ !!

朝から元気に、電車出し !!
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取材当日、朝 7 時半に中野駅南口に集合したデコボココンビは、改札奥から階段で駅長事務室へ。飯塚駅長と小辻副駅長が笑顔でお出迎え。“ 駅長の1 日を追う ”簡単な打ち合わせを行い、7時55 分いざ出発!! 白手袋をはめ、帽子の位置を整えて、足早に歩いていく駅長。1・2 番線ホームに到着すると、左手に赤い旗、右手にマイクで「おはようございます! 1 番線三鷹行きがまもなく発車します !!」と元気に電車出しをはじめる。実は駅長、時々電車出し担当の仕事を奪って(!?)対応することも。「今朝は遅延もなくて、気持ちいいね!」と生き生きしている飯塚駅長って、いいね!

あな、おそろし !! 朝ラッシュ
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中野駅は、平日朝 8 時 15 分~45 分がラッシュのピーク。8 時 10 分、デコボココンビは北口コンコースに到着。改札に向かって走る人、階段を駆け上がる人 !! どんどん人が増えていく。どこで撮影するんだろう… と不安に思っていると、小林助役がコンコース中央に立って「こっちこっち」と手招きする。小辻副駅長と小林助役が脚立を支えながら「ご迷惑をおかけします !!」と頭を下げる。必死にシャッターを切るカメラマン A。壁に張り付いて、メモを取るライター S。洪水のようにあふれる乗降客の視線が冷たい。次は、改札外へ。またしても、果敢に脚立を立てて支える小林助役に感謝して撮影。そばで見ていた飯塚駅長は「もしお客様から苦情が来たら、私が謝ればいい !!」と腹を括ったという。後日談が心にしみた。

自分の家と同じ !!  構内巡回
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朝のラッシュを終えて、ほっと一息。飯塚駅長の構内巡回が続く !!「何か異常はないか?」「困ったお客様はいないか?」と視線は絶えず四方八方に、階段を足早に駆け上がる。後を追うカメラマン A が「駅長!もう少しゆっくり歩いて~」と懇願。構内を巡回していると道を尋ねられることも多い。先日は、住所のメモを持って途方に暮れるお客様と一緒に、地図で道順を確認したことも。駅前に交番があるから…と済ませるのは簡単だけど、「時間がある限りきちんと応えたい」と思う。「多忙な合間を縫って、1 日に何度も巡回する駅長はいません」と小辻副駅長がおしえてくれた。巡回は、安心して駅を利用してもらうため。「だって、自分の家を守るのは当たり前でしょう !?」

ギリギリの選択 !!  悩ましき番線攻防
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千葉方面行きの総武線に乗ろうと、発車標で時刻を確認。「次は 2 番線ね!」。ホームに上がると、5番線に変わっている…。いつも同じホームじゃないの?なぜ変わるの?おしえて、飯塚駅長 !! 通常、上りの総武線は、高円寺方面からやってきて 5 番線から発車します(平日昼間の 2 番線は、中野駅終点・折り返しが多い)。列車が遅れていると、発車順序が 2番線または 5 番線のどちらになるかは、輸送指令と駅(線路脇にある信号場と各ホームの駅事務室とのやりとり)で決定する。2 番線から発車予定の列車が天候や事故などで遅れ、5 分後に到着という情報が入ると、「2番線やめて、5 番線から先行で!」と輸送指令。これに対して「ホームのお客様が並んで待っています!」と駅事務室。各線の運行状況を把握する輸送指令は当然全体を見て判断。一方、各ホームの駅事務室では、何よりも目の前のお客様!「どうしてもギリギリまで、発車番線を決められない」ともどかしそうな飯塚駅長。中野駅では、日夜初電から終電まで熱いバトルが繰り広げられているのです。

うらめしや…3・4 番線ホーム屋根
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東京メトロ東西線が乗り入れる 3・4 番線を見渡すと、運転士と車掌はメトロ社員の制服を着ている。「ホームのスピーカーやロッカー、ほらほら自動販売機とか発車ベルもメトロ仕様なんですよ」と駅長の説明にうなずくデコボココンビ(みなさん、今度確認してみてね)♪一方、電車出しなどホームでの対応は、JR が行う。飯塚駅長は、3・4 番線の巡回のたびに屋根を見上げる。「ここのホーム、雨漏りがあるの。でも、勝手に触っちゃいけないんですよ」。なぜって、ここはメトロの所有物だから。メトロに連絡した雨漏りは、これから修繕する予定だそう。ちなみに、東西線が中野駅に取り入れて48年目。

心の底から熱血鉄道マン
両親は国鉄職員だった。小学1年で父が亡くなり、母の働く姿を見て育つ。子どもの頃から、一本気!「早く働きたい」と高校時代から鉄道アルバイト、卒業後は迷うことなく国鉄に入職。お客様第一、全力で走った34年だが、周囲との温度差に悩むことも。「飯塚、お前の好きにやっていいんだよ」と本社時代の上司の言葉をいまも時折思い出す。昨年末に、着任した中野駅。春になると中野通り桜まつり、夏になるとチャンプルーフェスタなど町のイベントや小学校の入学式に駅長が招待される。「歴代の駅長のおかげで、地元といい関係を築いてきた。こんなに地元とつながりの深い駅はない」と驚きつつ、「町と一緒にやっていきたい」と思いが募る。さぁ、125周年イベントが始まる!「うちの社員はチーム力抜群なんです」と胸を張る。モットーは“有言実行”だ。秋からのイベントは、プロジェクトメンバーが企画中!!これからの中野駅、目が離せない。

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プロフィール:飯塚晃(いいづかあきら)
1962年神奈川県生まれ。80年国鉄入職。小田原駅を皮切りに、鶴見駅や東海道線で13年間車掌を務める。本社運輸車両部、東京支社運輸車両部企画課などを経て、2013年12月中野駅着任。第52代駅長

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投稿日時 2014-08-01

カテゴリー Vol34

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